DVD

「クロノス」

演劇集団キャラメルボックス「クロノス」

 衝動買いしたDVDをようやく見た。
 ついでに小説も読んだ。


新編クロノス・ジョウンターの伝説

 原作本にはタイムマシン”クロノス・ジョウンター”に関する短編3作が収められており、「クロノス」はその1作目を劇化したものだが、芝居には2作目と3作目に登場するキャラクターもサブキャラとして登場する。また、原作にはない登場人物や設定もされていて、かなり厚みのある作品に仕上がっていた。

 衝動買いの動機、菅野良一は、あいかわらずちっちゃいし活舌は悪いし、歳を重ねていい感じに太ってるし・・・。
 ちなみに原作の吹原和彦はこんなに情けない男ではない、と思った。キャラメルボックス版はもしかして菅野良一へのあて書きなのだろうか?情けないけど、一生懸命なんである。とにかく全身全霊をかけて汗だくで走り回る。このへんはかなりキャラメルボックステイストです。ダメなひとはたぶんダメでしょう。私もちょっと苦手なんですが、菅野さんに”にこっ”とされちゃうと、ああもういいや、なんか許すって気分になる。
 こういう男はぜんぜん私の好みじゃないけど、許してしまうのはたぶん、私は菅野良一に似たひとにものすごくお世話になっているからで。たいていのことはひとりでどうにかしている私が、数年に一度、どうしようもなく夜中に泥酔して、何の前触れもなく突然迷惑な電話をかけてしまう相手。酔っ払ってなお、問題の本質には絶対に触れずにぐちぐちとわけのわからないことばかりをつぶやいているであろう(←あんまり記憶にない)私の相手を笑いながらしてくださる神様のようなひと。世界はたぶんそれを愛と呼ぶんだぜ。ありがたいことです。てゆーかすみません。

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劇団、本谷有希子「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」

劇団、本谷有希子「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」

 『自意識に絡め取られた妄想過多な人間を主人公に、独特の劇世界を展開する』という「劇団、本谷有希子」の芝居。
 前々から噂には聞いていたけれど、東京まで見に行くのは何かのついでがない限り難しそうだったので、DVDを衝動買いして初見。

 私はよく他人に「自意識過剰」とか「傲慢」とか言われる。しかし大変困ったことに、自覚がない。自覚はないけど人からそう言われるってことはそうなんだろうなあ、それにそれってよくないことなんだよねーと思って、そうじゃないように振舞ってみるのだけれど、なにせ自覚がないがために自意識過剰じゃなかったり傲慢じゃなかったりするのがどういう状態なのか分かっておらず、妙な行動に出ているらしい。あげく「謎なひと」とか「ヘンなひと」とか、最近では「キモイ」とか言われている。一方で本人は「異常」であることを極度に恐れながら、「普通」であることにコンプレックスを抱いていて、「ヘンなひと」なんて最高の褒めことばじゃん、と判断してしまう。
 我ながら、手におえない人ではある、みたいだ(自覚はない)。
 
 こんな自分と本谷の芝居を重ねてしまうあたりが「自意識過剰」。
 小説もちょこっと読んでみたけれど、ついていけなくて途中で挫折。
 DVDの方も、照明が暗い場面が多くて、画像が悪く、音声もかなり聞き取りづらい。
 我慢して最後まで見たけれど、これはちょっとあんまりじゃないかと思う。まあ、それをひっくるめてのお値段なのでしょうが。

 なんつーか、感想が述べにくいが、まあ登場人物の誰もがヘンで、でも誰もに共感できてしまった。あー、そうだよねって。でも現実にはなかなかそろいもそろってああいうふうにはいられないでしょう。いや、現実はもっと複雑怪奇かもしれないな。でも私はなかなかああはいられない。だから憧れる世界であって。

 この芝居のタイトル、誰に向けて誰が発していることばなのだろう、と思っていた。
 ラストシーンにちょっと泣けてしまいながら、観終わって、私自身が世の中に向けてこの言葉を発してやりたいと思った。
 人形に釘を打ちつけつつ。
 何かが動き出すことを期待して。
 
 こんなことだからいかんのだ。
 なにせ平凡であることを嫌いながら、世間に望まれる人生をはみ出さないように細心の注意を払って生きている、ねじまがって一周して普通の人な私としては、せめてここにこんな文章でも書きながら、明日からもできるだけ正しいおとなとして暮らしていく。そして、今日みたいな日には、そんな自分の情けなさを棚に上げて叫ぶ。
 「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」と。

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第三舞台「パレード旅団」

 85年初演の『もうひとつの地球にある水平線のあるピアノ』を改訂した、1995年の作品。
 私が第三舞台と出会ったのは1993年ごろ。実際の舞台を初めて見たのは、94年の『スナフキンの手紙』だった。95年、私は北九州に住み始め、遠征など思いつきもしなかった当時、残念ながらこの舞台を見ることはできなかった。

 いじめにさらされている中学生の世界と、崩壊にさらされているある家族の世界を移動する。
 結局のところ、これらはコミュニケーションの問題なのだ。
 多かれ少なかれ、人間関係に悩まない人はいない。
 いじめられっ子歴30年、いまだに日々いじめられている私。
この問題を抱えながら、今日も苦しみながらどうにか生きていかなければならないのだ。
 
 二つの世界を瞬時に行き来するのだが、役者たちの芝居が安定していて、ほとんどストレスなく見ることが出来る。入江さんて、うまいなあ。そしておもしろい。すごく好きなタイプではないし、ちょっと印象の薄い感じがするのだけれど、安心して見られる。
 ラストシーン、雨に打たれてずぶぬれになりながらのジャンプは、本当にきれいだった。ああ、劇場で見たかったなあ。最近の鴻上芝居は、いや、『朝日のような夕日をつれて』からずっと、決して幸福ではないけれど、前向きな、いつか新しい地平にたどり着きたいという決意にあふれた、絶望的でありながらも元気になれるエンディングだった。

 副音声は社会学者の宮台真司氏。私は宮台オタクなので、嬉しいセレクション。鴻上さんと宮台さんは同じ年齢らしい。(余談だが、宮台氏は都立大に勤める前に、私の通う大学に来ていた。「過激だけれど、おもしろい」と評判だった彼の授業を取らずに、学部の先生の授業を取ってしまったことが悔やまれる。そもそも、本当は都立大に行きたくて、2回も受けたんだけどねー・・・) 不安、コミュニケーション、祭り、等々・・・について、演劇・映画・歴史・現代・社会・哲学などの切り口で、延々と語られることは、本当におもしろくて、これだけでもDVD買ってよかったなー、としみじみ。あー、こういうネタでしゃべってないな、最近。

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第三舞台「ハッシャ・バイ」

 1991年の上演作品。

 戯曲でも読んだし、筧利夫主演で再演された改訂版も見ている。(まあ、あれはこの芝居をモチーフにしていただけでずいぶん違った感じだったけれど、むしろわかりやすくなっていたと思う)
 けれど、こうして舞台をみてみると、やっぱりちょっと違ったイメージだ。
 というよりも、いくつものモチーフが交差していて、かなりわけがわからない。

 『ビー・ヒア・ナウ』と同様、熱狂する時代に対して批判的な視点が感じられる。
 「自分探し」がモチーフのひとつだけれど、それに対しても批判的な感じ。 
 
 クライマックスで、もうひとりの私がそっと私の肩を抱く。
 愛しくてたまらないというように。
 目を覚ます、眠りにつく、ここから出て行く、新たな一歩を踏み出す、愛しい私を。
 たとえあなたが深い眠りにつき、あるいは目覚めて、私のもとを離れても、私のことを忘れてしまっても、私はここにいる。だから大丈夫、安心しておやすみなさい、安心して目覚めなさい、安心して旅立ちなさい、というように。
 かなりわけがわからなくても、この作品の中にある誰かを想う気持ちは確実に届いたし、私の心を動かした。
 長野里美という人がまたすごい。彼女がせりふをしゃべると、ダイレクトに伝わってくる。 
  
 ドラクエのゲームデザイナー堀井さんと俵万智さんをゲストに迎えての副音声では、「孤独」についての話題が印象に残った。「孤独」から抜け出したくて、人は表現するのだという。その表現を通して、誰かとつながりたいのだという。ならば私は、誰かの表現をきちんと受け止められる人でありたいと思う。ま、裏を返してホンネを言えば、自分の表現を誰かに受け止めてもらいたいというだけなのですけど。わがままですね。
 もうひとつ、「癒されたい・安心したい芸術」と「わけわからない・心を動かされる芸術」の話。私が鴻上さんの芝居を好きなのは、それが後者だからだ。見終わってすぐはわけがわからなくても、1ヵ月後に道を歩いているときにふと芝居のせりふが思い出されること。それっていったいなんなのか、突きつめて考え続けること。そのしんどい作業を続けていくことが、どうにか生きていくということなのではないかと思っている。

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第三舞台「ビー・ヒア・ナウ」

 『第三舞台 VINTAGE BOX2』を買ってしまいました。うちにはDVDプレイヤーがないのに。
 しょうがないのでパソコンで見ています。
 まずは「ビー・ヒア・ナウ」

 1990年に上演された作品。
 主に制作的なことや、90年当時の第三舞台を取り巻く状況などが語られる副音声によれば、「最後のフルメンバーでの公演と言われている」そうです。

 みんな若い!
 踊る、踊る・・・。
 「おどるポンポコリン」フルコーラスにあわせて踊られるチアリーディングのすごいこと、すごいこと!
 こんなものを見せられたら、そりゃあ観客は熱狂するだろう。
 戯曲を読んだだけではわからなかったかずかずの演出の工夫に驚かされました。やはり副音声で「スタッフワークも最高だった頃の芝居」と言われていますが、舞台も小道具も衣装も映写も確かに完璧な出来です。

 一方で、脚本はなんだかおとなしい感じで。
 「いま・ここにいる」というタイトルには、浮かれまくっていた時代とは裏腹に、どこへ行きたいかもわからず、どこへも行けない閉塞感のようなものが感じられる。どこへでも行ける、何でも出来る、と思ったとたんにどこへも行きたくないし、何もしたくないんだと思ってしまうように。そのくせどこへも行っちゃだめだと言われると、無性にどこかへ行きたくなってしまうように。

 あれから15年が経って、不景気といわれる時代が結構長く続いていて、なのに状況はさして変わりない気がする。むしろそんな気分でいられるということは、やっぱり私たちはどこへでも行けるし、何でも出来るということなのではないか。
 まあそれは私だけなのかな。

 DVD、あと4本(+1)もあるよ。副音声もついてるから、2回ずつ見るとして、しばらくはこれで楽しめそうです。 

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