« 「流浪の月」 | トップページ | 「HOKUSAI」 »

「私をくいとめて」

綿矢りさ「私をくいとめて

 

 映画は見た。けど、なんだか納得いかなかった。
小説はユーモアにあふれ、とても面白かった。
 小説は映画よりずっと面白かった。映画では、みつ子にとってAがどういう存在かわかりづらかったんだけど、小説を読む限りみつ子は「客観的に見てこんな存在が脳内にいる私って変だよね」という自覚がありつつAと会話している。
 あと、映画ではみつ子にとって多田くんがどういう存在かもわかりづらかった。でも、小説を読んだらよくわかった。小説はちょいちょいユーモアにあふれていて、おひとり様女子のこじれっぷりにすごく共感できた。たぶん、私は映画を作った人たちの感性にはあまり共感できなかったのだと思う。でも、綿矢さんの感性に共感できたような気がする。
 映画との相違点をいくつか。まず、小説には片桐はいりに当たる人がはっきりと登場しない。あと、小説のみつ子は会社であんまりしんどい思いをしていない。映画の会社シーンは、私にとって共感できない部分が多かったのだけれど、あれはやっぱり世の中の働くアラサー女子の現実に寄せて共感を得たかったのかなと思う。また、原作では多田くんはみつ子と同じ年だ。なぜ映画では年下にしたのか、それも映画を作ってる人たちの価値観が出てて嫌。みつ子の暮らす部屋のインテリアとかを、かわいくして、公式サイト上で「これはどこのお店のこれ!」とか紹介してたのもたのも嫌。原作のみつ子はもっと地味な人だと思いました。(とはいえ、みつ子の家のダイニングテーブルに一目ぼれして、お店まで見に行ったのは私です…すみません)
 橋本愛さんが演じた、イタリアに嫁いだ友人は、ヘアスタイルをベリーショートにしたことになっていた。映画では橋本さんのトレードマークともいえるおかっぱヘアの一部を赤く染めていたのだけれど、あれは事務所的にベリーショートNGだったのでしょうか…。
 みつ子と多田くん、カーターとノゾミさんがダブルデートするのは、原作ではディズニーランド。映画では東京タワーを登ってたが、あれも予算とか撮影の都合だろうなぁ…。
 ラスト、海でAと出会うシーンも、原作通りなんだけど、映画はあんまり理解できなかった。だって、Aの声は中村倫也で、私は聞いた瞬間に中村倫也だよねと分かってしまったので、脳内ではAは中村倫也だったのに、いきなり前野朋哉を出されても…だったら最初からAは前野朋哉の声にしておくか、全く姿が想像できないイケボの声優とかにA役をさせた方が良かったんじゃないか。本だと、最後までAの声や姿を想像できていい。ラストでビジュアルを説明されて、がっかりだけど笑っちゃうところが良かった。
 というわけで、小説を読みながら、映画と比較してしまい、制作にものすごくお金のかかる映画だからこそのコマーシャリズムを感じてしまったのだった。

|

« 「流浪の月」 | トップページ | 「HOKUSAI」 »

」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「流浪の月」 | トップページ | 「HOKUSAI」 »