« 「ソラヤマの自伝」 | トップページ | 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」 »

「ひとよひとよに呱々の声」

世界劇団「ひとよひとよに呱々の声」

 日時:2021年3月6日(月)18:00開演

 会場:ぽんプラザホール

 

 ホール内に入ったら竹と笹のにおいがぷんとした。ぽんプラザホールが竹林に!

 ロールバックチェアは出されていなくて、入り口入ってすぐと奥に客席を配した挟み舞台。

 

 タイトルにある”呱々”とは赤ん坊が生まれてすぐに泣く声だそうだ。
 原作は竹取物語となっていたけれど、そして確かにかぐや姫も竹取の翁=さぬきのみやつこも登場したし、多くの公達が姫に文を送り、物語の最後に姫は月へと昇って行ったけれども、日本最古のものがたりが見事に現代の社会問題を取り込んだ”いま”のお話になっていた。 

 

 ものがたり

 竹を切って”人が正しく歩く”道を作るみやつこ。
 ある日、黄金に輝く竹の元でじゅくじゅくした未熟の子を見つける。みやつこはそれを持ち帰り大切に育てた。”みどりこ"と名付けられた嬰児(みどりご)は2の階乗ですくすくと成長し、成熟する。竹のように。

 竹を切って日銭を稼ぐ貧しい暮らしのみやつこは、みどりこを学校にやる余裕もない。美しく成長したみどりこの元にはあまたの公達から文が届くが、みどりこはそれを読むことも返事を書くこともできない。学校に行っていないから、読み書きすらできないのだ。ある日、みやつこはいつものように竹を取りに出かける。村人はみやつことみどりこのことを噂する。家のかべにぐじりぐじりと穴をあけて家の中をのぞき見る。家には冠をかぶった男が押し入り、みどりこを手籠めにする。それを知ったみやつこは、病院でみどりこを見てもらおうとするが、拾い子のみどりこには戸籍も保険証もなく、貧しいみやつこは高額の医療費を支払うことができないために診察を受けさせることができない。お上に被害を訴え出てみても、証拠がないと取り合ってもらえない。たまりかねたみどりこが直接お上に出向いてみても、聴取は屈辱的なもので、言葉を失う。

 そうこうするうち、みどりこの中で嬰児の筋肉や節々ができつつあり、中絶を望むみどりこが医者を訪ねた時にはすでに中絶できる時期を過ぎていた。そもそも人工妊娠中絶には夫の同意書が必要だという。みどりこの養分を吸って、みどりこの中で大きくなっていく嬰児。少しづつ混乱してゆくみどりこを前に、みやつこはある決断をする…。

 

 何をもって”ひと”とするのか? 

 生物としての“ヒト”。受精して、着床して、何週間かたったら、ある日それは”人”になる、と法律で決められている。

 戸籍がないと、保険証がないと、”人”としての権利が認められなかったり、”人”として扱ってもらえなかったりする。

 女だから、貧しいから、学がないから、という理由で、”人”として扱ってもらえなかったりする。

 アフタートークでは、”従軍慰安婦”や”伊藤詩織さん”というキーワードも聞かれた。こういった社会の様相に対して、割と客観的な視点で見ていて、だけれど突き放している感じでもなく、ちゃんと寄り添っている感じがした。感情的ではなく理性的。本坊さんは精神科医ということだけれど、医者が患者と向き合うときの在り方って、こういうものなのかなとも思った。 

 言葉を重層的に使っているのが印象的。言葉やモチーフや物語にいくつもの意味が込められていて、複数に解釈できる。ひとのこころを扱うときに、言葉は非常に重要なものだと思うけれど、やっぱり語彙やイメージが豊富な感じがする。同時に、歌と踊りが印象的。身体と言葉をバランスよく使っていて、祝祭的なものもあって、とてもトラディショナルな演劇。世界劇団はもともと大学の学生劇団で、非常に歴史のある劇団だということですが、劇団内で先輩から後輩へときちんと受け継がれているメソッドがあるのだろうなということが感じられる。こういうのは大切だなと思う。 

|

« 「ソラヤマの自伝」 | トップページ | 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」 »

演劇」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「ソラヤマの自伝」 | トップページ | 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」 »