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「シャザイカイケン」

最新旧型機クロックアップサイリックス「シャザイカイケン」

 日時:2020912日(土)2000開演

 会場:湾岸劇場博多扇貝

 

 5月に予定されていた公演が9月に延期されての上演。客席を半分に減らして市松模様に設置、入り口でのサーモグラフィーカメラによる検温、手指消毒。

 いつもの“ごあいさつ”や当日パンフは、チャック付きの立派なビニール袋にチケットの半券やアンケート、アンケート記入用のボールペンと一緒に入っていた。透明なその袋の中に入ったまま読めるようになっている“ごあいさつのその前に”には、“お客様がウィルス的なものに接触感染するリスクを下げるため”、そのパッケージが細心の注意を払って封入されたことが事細かに説明されており、さらに袋を開けなくてもQRコードでパンフレット、ごあいさつ、オンラインアンケートにアクセスできるようになっていた。さすがの危機管理です…。

 

 ものがたり

 地下鉄七隈線。車内はマスク姿の人たちが距離を保って、黙って、乗車している。六本松でロングシートの端っこに座っていた人が席を立つと、真ん中に座っていた男が端っこに移動した。よくある風景。駆け込み乗車をしてきた男(上瀧昭吾)が、空いた真ん中の席に腰を下ろす、と、反対側の端っこに座っていた女がちいさく怒り出す。訳が分からないままになんとなく謝ってしまう駆け込み乗車の男…。

 

 場面は変わり、男、常務(立石義江)、部長(池田景)の3人が「申し訳ありませんでした!」と頭を下げる様子を、女(石村英美子)が見ている。どうやら3人は、謝罪会見の練習を女=先生に指導してもらっているらしい。

 このようなご時世なので会見はzoomで実施。会見に参加するマスコミ各社はそれぞれにzoomアプリをスマホにインストール。世代によってスマホやオンライン会見への態度が違うのが面白い。

 30代ぐらいの記者T=テレビ局(白川宏冶)は、スマホにアプリをダウンロードするところからスタート。ギガが足りなくなりそうだから公衆wi-fi経由でダウンロードしようと悪戦苦闘。会見が始まってもギガがぎりぎりだから映像を繋げず音声のみで参加。

 50代ぐらいの記者R=ラジオ局(大谷豪)はなんとかアプリをダウンロードして、テクノロジーの進化にしみじみ。

 20代の年若い記者N=ネットニュースは(長沼里佳)は複数のスマホを交互に操りながら、ばえる写真でいいね!やフォロワーの数を稼ごうと悪戦苦闘。盛り盛りに盛りまくって誤爆、フォロワーが見る見るうちに減って大ショック!

 世代によってスマホやオンライン会見への態度が違うのが面白い。記者Rがラジオのエアチェックがどうの、カセットテープがこうのと過去を懐かしむのが、つい先日、おじさんとおばさん(私です)が若者相手に繰り広げた会話と全く同じだったので笑った。

 記者P=新聞社は姿を見せず。あれ?キャスト表には“エストラゴン後藤”というクレジットがあるけれど、記者Pって登場したっけ?

 

 記者会見会場では白い防護服に身を包んだ男と女が、次亜塩素酸水か何かのスプレーを手に、消毒に余念がない。

 

 実は何を謝罪するのか、そもそも何のための記者会見なのかすらわかっていないらしい3人。社長と思われていた男は実は副社長で、会見で重大発表を行うと言っていた社長とは連絡が取れないまま、会見当日がやってきてしまったというわけらしい。

  先生のアイディアで、とりあえず部長から謝るべきことを謝ることにする。

 社員ABCDFが5人で集まって会食。うち2人はそれぞれ自主的に2次会として店に寄った件について謝罪。記者たちから質問が飛ぶ。結果明らかになったのは、“5人未満”を“5人以下”と取り違え、5人ならよいと思って社員Aの誕生会を開いたこと、2次会で行った店の20歳女性が実は30歳子どもありの女性だったこと、居酒屋のメニュー等々。そんなことわかったところで何の意味もない。

 続いて常務、弊社の商品が規定よりも短かったことを謝罪。原因は設計図の翻訳ミス。規定との差はほんの0コンマ数ミリ。

 やがて、集まった記者たちは怒りだし、会見は中断。

 投げられるペン。

 ペンは剣よりも強い?本当に?

 

 社長から電話。社長が予定していた記者会見の内容は新商品の発表だった。“重大発表”とあおることで人を集めようとしていたのだ。

 

 電車の中、プロレスのマスクをした人たちが、1mの距離をはかる商品“ソーシャルディスタンス君”をかざしながら、マスクをしていない副社長を囲む。

 

 降ってくるスマホ!

 回る舞台!

 

 ラストシーン。

 くちばしのついたマスクを着けてぺこぺこと頭を下げる人たち。昔あった、水飲み鳥のおもちゃみたいに見えたけれど、あのマスクはペストが流行したときに専門家として雇われたペスト医師たちがつけていたものらしい。

 

 もともとは作・演出の川原さんの「俺のベッキーを返せ」から始まったらしいこの作品、元のプロットから大幅に加筆修正された「SD(ソーシャルディスタンス)バージョン」としての上演だったそうだ。結果、実にクロサイらしい“いま”を描いた作品になっていた。「とりあえず謝っとけ」、「とりあえず頭下げとけ」、「とりあえずマスクしとけ」、「とりあえず家にいよう」みたいな、思考停止状態に陥っていたこの数か月を振り返って、激烈に反省させられた。マスコミの人たちから投げられるペンに、そのペンは確かに剣よりも強いだろうけれど、武器の使い方としてはどうなんだ?と恐怖を感じたし、マスクをして顔の見えない人たちが寄ってたかって直接利害関係があるわけでもない誰かを完膚なきまでに叩きのめす様子に、SNS上での誹謗中傷事件を思い出したりもした。興味本位でどうでもいい情報を求めてネットサーフィンとかしちゃう自分が、”求められる情報”を作り出している気がして反省した。

 一方で、クライマックスで大量に降ってくるモノに、「待ってました!クロサイはやっぱりクロサイだ~!」と安心した。水戸黄門の印籠みたいな安心感。 

 

 特に前半の場面では、舞台上の役者もマスクを着けたまま。小さい劇場だからセリフが聞こえないということは全くなかったけれど、役者さんたちは舞台上でマスクをしたまましゃべるの、きついだろうなぁと思った。

 途中、会場内で大型扇風機が回される“換気タイム”があった。あなぴの公演でもあったのだけれど、あれはガイドラインに定められているのでしょうか。今度、某大ホールを借りて公演をやるんだけど、でかい扇風機を持ち込まなければいけないのだろうか…?

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