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「1961年:夜に昇る太陽」

DULL-COLORED POP vol.20  福島三部作 一挙上演

第一部「1961年:夜に昇る太陽」

 日時:2019年9月1日(日)13:00開演

 会場:in→dependent theatre 2nd


 ホテルを出てどこへ行こうかなぁ…と歩いていたが、通天閣があまりにもフォトジェニックだったので、つい引き寄せられるようにそっちへ向かう。そういえば通天閣行ったことないなぁ。途中にやたらガチャポンマシーンがいっぱい並んでいる。通天閣の足元にもガチャポン多数。ガチャポン好きの私はいちいち確認しながら散歩。ずっと探していたおじぎガチャを発見し、喜々として回した(*^^*)

 

 冒頭、暗闇の中に防護服を着た人が登場する。その人は一つの段ボール箱を見つける…。

 

 汽笛が鳴り響き、舞台はあっという間に1961年の、駅。汽車の中。学生服を着た青年・孝が故郷・福島県双葉町へと向かっている。孝は東大で物理を学ぶ秀才だ。乗り合わせた”先生”と呼ばれる麻のスーツを着た男に声を掛けられ話をするうち、彼もまた双葉町へ向かっているということがわかる。あんな何もない田舎になぜ?自分は「大学を卒業しても福島には戻らない」と言うために帰省するところなのに。

 その頃、駅前の野原では孝の弟・真が兄の帰りを待ちわびていた。

 

 真とその友人の子どもたちはパペット。イメージはひょっこりひょうたん島。ダルカラらしい。真のパペットを扱う役者さんは、第三部で編成局長の穂積真を演じていた役者さんだった。ああ…。

 1961年当時の漫画やアニメが取り入れられ、笑いを誘う。音楽の取り入れられ方もとても工夫されていて効果的。

 

 孝の父は戦争から帰って常磐炭鉱に出稼ぎに出ており、孝の弟・忠は青年団で熱心に活動している。夕食時、祖父の正に「家には帰らない」と言ってはみたものの、当然罵倒され、孝は家を飛び出して夜の広場へと向かう。広場には幼馴染の美弥がいた。

 

 あれ?美弥って忠の奥さんだよね?え?

 

 町では”謎の山高帽の男”がうろついているという噂が流れていた。真は友達のハカセから、その男が町長の家から出てきたのを見たと聞き、町長の家へと向かう。そこには、山高帽の男=酒井だけでなく、”先生”もいた。酒井は福島県庁の職員で、”先生”=佐伯は東京電力の研究員だった。彼らは正に折り入って相談したいことがあるという。

 相談の内容とは、穂積家の土地を売ってくれというものだった。原子力発電所を建設するために。

 

 佐伯は実在の東京電力社員であり、広島出身というのも史実に基づいているらしい。世界で最初に原爆の被害に遭った広島で、その被害の悲惨さを目にした佐伯がなぜ原子力の研究をしたのか。そして原発を推進したのか。広島出身だったからこそ、家族や多くの人の命を奪った原子力爆弾に対して完全に無力であったからこそ、原子力について熱心に研究し、それを完全にコントロールしようとしたのではないだろうか。間違った使い方をすればどうなるのかを誰よりも知っていたからこそ、完璧にコントロールできる、完璧にコントロールしたいと思ったのではないだろうか。

 

 破格の補償金を提示され、穂積家は土地を売却することに同意する。売るか売らないかは”自由”。町に戻って跡を継ぐつもりのない孝は何も言えず、忠は「これが自由と言えるのか。目の前に札束を積まれて、そうなるように仕向けられているだけじゃないか」と反対する。

 

 ”自由”。本当に”自由”なんてものはあるのか。孝は美弥を「一緒に東京へ行こう」と誘うが、美弥は「私一人では決められない。行けない」と繰り返す。それが田舎だ。田舎は自分のことを自分で決められない。家族や親戚や近所の人があれこれ言って、気づけば自分以外の誰かが自分の人生を決めている。東京では自由だ。東京では自分で決められる。そして孝は美弥や家族を残し、東京へ向かう夜行列車に乗る。

 

 東京では”先生”が議員らしき人と話している。

 原子力発電所の建設には政治的な戦略も大きく働いていたのだなと思わされる。戦争が終わって十数年、ふたたび欧米諸国と肩を並べる国になるために、核を持つことを一部の政治家たちは考えていたのだろう。原子力の研究を進め、原子力発電所を日本の各地に建設することは、エネルギー戦略であると同時に、核兵器の研究をし核武装することと表裏一体だ。技術革新はいつの時代も戦争のため。強くなるため。勝つため。どうしてそんなにも戦って勝ちたいのだろう。

 

 エピローグ。冒頭に登場した防護服を着た人が、ゴーグルを外しフードを脱ぐ。それは年齢を重ねた真だった。2011年の震災後に、自宅に一時帰宅し、荷物を取りに来ていたのだ。

 段ボール箱を開けると、たくさんのジャズのレコードが出てきた。それは東京に住む孝から真に送られたものだった。第三部で、真がジャズを趣味にしていたことを思い出す。それは孝の影響だったのだ。

 やむを得ず第三部を最初に見ることになったけれど、第三部から観てよかったと思えた。ラストシーンは第三部につながっていた。

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