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「パンクジェリーフィッシュフロー4AM」

あなピグモ捕獲団「パンクジェリーフィッシュフロー4AM」
 日時:2015年9月12日(土)19:30開演
 会場:ぽんプラザホール

 あなぴ新作。
 ぽんの舞台には天井から床にいろんな色の反物が垂れ下がっている。その布にあたる明かりもカラフルで美しい。虹色。
 

 月子は売れない女優。深夜のファミレスでアルバイトな生活。オーディションには落ちるし、売れないミュージシャンな恋人は働くのをやめるし、いろいろ残念な人生。そんな月子には、宙に浮かぶクラゲが見える。

 新月の月子(野中双葉)、三日月の月子(遠藤咲子)、半月の月子(立石義江)、年齢の違う3人の月子は、時系列に並ぶ一人の月子なのか、それとも別々の3人なのか。

 3人の月子は、それぞれに重ねた人生があるから出せる色がある、それぞれの月子。
 演出家=中島荘太さんがうまい。こんなうまい役者さんだって知らなかったな~。
 最近の私の大のお気に入り、伊藤綾さんがやっぱり美しくてかわいらしくてキュート。優しくて小悪魔。
 ゲスト女=木村佳奈子さん、かわいいな~。こういうゲストの使い方、ちょっと新鮮。
 ゲスト男=安部くん。正しい/よくあるゲスト的使われ方。やっぱりエッサッサなんだ。

 今回の衣装はみんなおそろいの薄い生成色のワンピースに黒のズボン。ワンピースのスカート部分はその生成の生地と虹色の生地や色んな生地で縦ストライプ。あ、クラゲっぽい!ゲストさんも同じ衣装を着ていたけど、ゲスト全員分の衣装があるのだろうか?いくらなんでもそれはないか。
 スライドもゲストそれぞれにちゃんと作ってあった。それぞれ1回しか出演しないのに!

 チラシにあったこの曲は芝居を読み解くヒントでしょうか。  
 劇中にもいくつか作劇のヒントがばらまかれていて、こんなふうにネタ晴らしをするのも珍しい。
 キュービズムの絵画についての話が印象的だった。「世界を多角的にみる」。そうか。一人の人物を多角的に描く。別の時間と空間に存在するものが同時に存在し、その存在は一本の糸でつながるものではない。

 舞台上にあるのは、月子の断片。
 無数にある(あった)月子の人生の可能性であり、あるいは女優である月子が演じる誰かの人生の断片。あるいは月子の人生の瞬間を切り取った断片。
 午前4時、深夜のファミレスで、あるいは深夜に無数の誰かがうごめく街で、その断片が、暗い世界に浮かんで漂う。きらきらと七色に、浮かんでは消える。それは海に映る月。それはクラゲ。時々、月子をちくりと刺す。
 断片を寄せ集めて、死にかけた月子は月子になり、言いたいことをうまくいえずに言いよどむ月子にセリフが与えられる。
 「死にたくない!」
 演劇を、あきらめたくない!演劇の世界から出ていきたくない!そんな新月の月子の叫び。 

 『演劇や芝居は”いらんもん”。道に落ちてるはんぺんみたいに』
 ・・・
 ちょうどこの芝居を見る前の日に、同僚が書いたこんな文章を読んだ。

 私は優れた先人の文章をたくさん読みたいと思い、文学部に進学しました。そんな単純な理由でしたが、私にとっては決定的な理由でした。在学中、文学部で学ぶことは社会にとって何の役に立つのかといった議論が学生の間で盛んに行われました。しかし、私にとって不思議でならなかったのは、なぜ「社会にとって」なのか、なぜ「私(あなた)にとって」ではないのか、ということでした。それは今も同じです。少なくとも、進路を考える時点では、私は「文学の社会的意義」などは少しも考えませんでした。人間が社会的存在であり、その人間に文学が決定的な意味を持っている以上、文学の社会的意義は自明のことではないでしょうか

 私(あなた)にとって演劇が決定的な意味を持っているのなら、演劇は決して”いらんもん”なんかじゃない。
 私(あなた)にとって演劇が決定的な意味を持っているのなら、それで十分じゃないですか。

 10月には東京公演あり。またまた多彩なゲストを迎えて、下北沢にて。

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