« 「楽園」 | トップページ | 「”マイム・マイム”ツアー」 »

中村勘三郎さん、逝去

 歌舞伎俳優の中村勘三郎さんが、12月5日に亡くなられました。こころよりご冥福をお祈りいたします。

 朝なかなか起きられず、つけたテレビからニュース速報の音。続くアナウンサーの声に飛び起きました。

私が初めて観た歌舞伎は、1994年のコクーン歌舞伎「東海道四谷怪談」でした。
 芝居を見始めたばかりで、舞台芸術なら何でも見ようと、文楽や宝塚にも行っていた頃でした。
 大好きな松本幸四郎の息子・市川染五郎や、中村橋之助が出演するし、演目もなんかわかりやすそう、というので、歌舞伎座じゃないけど、まぁいいやと思って渋谷に足を運びました。勘九郎(当時)は、お岩と与茂七と小仏小平の3役。戸板返しとか提灯抜けなどの仕掛けもたくさんあり、クライマックスは本水を使った立ち回り(というか、水遊びみたいになってて、むしろ楽しそうでしたが)と、見どころたっぷりでした。
 
 初めて歌舞伎座へ行ったときに見たのも勘九郎さんでした。坊主がずらりと並んで踊る舞踊が眠くてうとうとしましたが、「ぢいさんばあさん」という演目で登場した勘九郎さんは、細かい芝居でお客さんを湧かせ、ああ、なんてサービス精神旺盛な役者さんなのだろうと思った覚えがあります。
 
 その後、大阪の扇町公園で平成中村座の2本立て公演を観ました。開場とほぼ同時に、劇場前で始まった小芝居で間近に勘九郎さんを拝見しました。芝居の最後に扇町公園を走り回っていた姿が思い出されます。

 コクーンでは、息子の勘太郎(当時)くんも観ました。NODA・MAPの「走れメルス」で久留米のスルメを演じた勘太郎くんが見栄を切る場面なんかは、お父さんそっくり!と思いました。その話を友人にしたら、「それが歌舞伎を見る楽しさなのよ」と言われました。ああ、そうか。受け継がれていくお家の芸を、親戚の子供の成長を見守るように、舞台上の役者の成長を見守る。それが歌舞伎のひとつの楽しみ方なんだなぁと思いました。

 現代劇の演出家と組んで新作歌舞伎にも取り組んでいた勘三郎さんですが、野田秀樹さんと組んだ3作目「愛陀姫」を歌舞伎座で見ました。オペラ「アイーダ」の世界を、岐阜の斉藤道三の家に重ねた物語、勘三郎さんは濃姫の役でした。タイトルロールの愛陀姫を演じた七之助くんがめちゃめちゃかわいくてキュートでしたが、私にとっては劇団四季で観た「アイーダ」の主役はむしろアムネリス。そういう意味では濃姫の苦悩がとても心揺さぶるものでした。

 昨年3月の博多座公演は、勘三郎さん病気休演のために、急遽勘太郎くんが夏祭浪花鑑の団七を演じました。勘三郎さんの団七に比べればまだまだ弱弱しい感じはあったけれども、それでも立派に団七を務めていました。観に行ってよかったなぁと心から思いました。
 でも、博多座で勘九郎=勘三郎さんを見ることはかないませんでした。

 テレビでの報道や追悼番組などを観ていると、歌舞伎界のみならず演劇界においても勘三郎さんは大きな存在であったことがうかがわれます。勘三郎さんがいたからこそ、また歌舞伎を観に行こうと思えた。舞台芸術の世界にとって、大きな存在が失われたのだなと思います。
 2月には博多座で六代目勘九郎の襲名披露公演が行われます。中村屋を継ぐ勘九郎くんの晴れ姿を観に、博多座に足を運ぼうと思います。

|

« 「楽園」 | トップページ | 「”マイム・マイム”ツアー」 »

雑記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中村勘三郎さん、逝去:

« 「楽園」 | トップページ | 「”マイム・マイム”ツアー」 »