「漂着」
劇団GIGA「漂着」
日時:2010年12月23日(祝)19:00開演
会場:あじびホール
山田恵理香演出。
クロサイの長岡暢陵さん目当てで。
会場に入ると透明のビニールで舞台と客席が仕切られている。ステージにはかすかに光があるが、おおむね真っ暗。1か所、黒板みたいな四角い部分がある。あとでそこだけビニールが貼られていない、窓になっているとわかる。遠く、射撃の音や波の音のようなものが聞こえている。
客席両脇の通路から、静かに役者たちが入場し、客席に背を向けて、”窓”からステージに向かって何かをささやく。小さな声で、囁くように、それぞれに、互いのセリフを追いかけるように。
苦手だった山田演出にも慣れてきたのか、イラっとすることはなかった。
あのへんてこなステップも、へんてこなリズムのセリフ回しも、それで感情の動きを表現したいのかなーと思えるようになった。けど、やっぱりやりすぎるあまり伝わりにくくなっている場面もあるように思えた。
ものがたり
国境の近く、海が見える別荘に一人で暮らす資産家の男(長岡暢陵)は、毎日海岸に流れ着く瓶を拾って、その中に入っている紙切れを読んで収集することに夢中になっている。彼の自宅は街にあり、生活には困っていないらしい。週に1度、使用人たちが生活に必要なものを運んでくる。
ある日彼の家に忍び込んだ若い兵士(五味伸之)は、字が読めない。毎日、銃を抱えて国境を警備している。
またひとり、彼の家に紛れ込んだ女(猛者真澄)は、街からやってきたらしい。部屋に散らばるガラス瓶の破片で足をけがして、彼の別荘の離れに滞在することになる。彼女は国境の向こう側に住む弟と待ち合わせをしている娼婦。
資産家の男が集める瓶の中の紙は、飲み屋の請求書だったり、手紙だったり。彼はそれが捨てられたものであろうと、誰かにあてて書かれたものであろうと、それに価値を見出している。誰かにとって価値のあるものは誰かにとって無価値でもある。弟を待つ女にとっては、それが30年前に他人にあてて書かれた手紙であろうと、自分にあてて書かれたものだと思いこむことによって生きて行く糧になる。文字の読めない兵士にとっては、それは何の価値もない。そんな”価値観の違い”で、この世界は自分と他者との間に見えない線を引き、生きたり死んだり、殺したり殺されたりする。
国境を越えたかった弟。行くことを許されていない見知らぬ国境の向こう側。どこかからこの海岸に流れ着くコトバ・・・。私たちは気付かぬままに、国境のこちら側に閉じ込められてやしないだろうか、とふと思う。
ものがたりは悲惨な結末に終わったけれど、ビニールシートのこちら側にいる私たちは、コトバに価値を見出すことが、そして価値観の違いを超えることはできるのだろうか。
若い兵士と女が男の家の離れに入って、二人でじゃれあうシーンが素晴らしかった。低く下げられた電灯が二人の足元だけを照らす。資産家の男のモノローグが続く中、足が2本の瓶を倒し、足が触れ合い、揺れる電灯のもとでなされる二人の行為を観客は想像する。
スタッフワークが素晴らしい。
美術(嵐男)、音楽(吉川達也)、照明(永井辰弥)、どれもおそらくは演出家の劇世界を具現化するために非常に良い仕事をしていた。舞台はビニール越しの観劇だったけれど、見づらいということは全くなかった。照明の効果も大きいと思うが、暗めの間接照明で、舞台の全容は見えにくいが、役者の声で車の音や射撃の音、カメラのシャッターの音などが表現された音響がさらに想像力をかきたてた。
役者さん。長岡さんが期待以上。あまり余計なことはしないで、長岡さんらしく。
五味伸之さんもうまい。猛者真澄さんは、山田恵里香演出には欠かせない存在。へんてこなステップも、へんてこなセリフの言い回しも、おそらくは山田恵里香の表現したいものを表現してくれる役者さん。
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