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なぜ書くのか(1)

 「東京物語」をめぐるweb上のやり取りをみながら、いつか書こうと思っていたことを書いておこうと思う。

 私は「批評」という言葉が好きではない。批評の批は批判の批。なんだか悪いところをあら捜ししているような気分になる。だから自分の書くものは「感想」と呼んでいる。
 優れた芸術作品とは、うけとめたひとのソウゾウ力を喚起するものだ、と聞いたことがある。私が書きたいのは、「私がその表現から何を喚起されたか」ということだ。
 感想を書くのを自己表現の手段にしている、というのは、なんだかみっともなくて嫌なのだが、事実だから仕方がない。たかさきさんが書いているので聞かれてもいないのに書くが、私は高校時代文芸部だった。遡れば小学校の時の担任に「作文がうまい」とほめられたことに起因すると思われるのだが、単純に書くことが好きだったし、書くことでどうにか現実と折り合いをつけていた。高校生の頃なんて、みんなそうじゃない? スポーツをするとか、歌うとか、漫画ばっかり描いているとか、芝居をするとか、そんな自己表現の手段をそれぞれ持っていて、そういう方向に進めなかった人は、髪を金色にするとか、シンナーを吸うとか、暴走するとか、暴力に訴えるとか、異性に走るとかしながらどうにかやり過ごしていたのだ。
 けれど、詩だの小説だのを書いて生活できるとは全く思っていなかったし、そうしたいとも思わなかった。20歳を過ぎると、書きたいことなんてなくなった。ライターっていう仕事もいいかなと考えたけれど、本当は書きたくもないことをお金のために書くのも嫌だなと思った。結局私は、ものを書いたり自己表現したりすることとは違うことをして生活しているわけだけれど、書くことは好きだし、書かずにはいられなくなることが今もある。
 私は何かを創造する人にはなれそうにないけれど、せめて誰かの表現は真摯に受け止める人になろうと思った。 これは私の中の一つの覚悟である。
 そして、この私の覚悟を確固たるものにしたのがニフティサーブ時代の次の書き込みである。

(以下引用)********************
898/904 ******** SUN CHILD RE^2:第三舞台について質問です
(17) 96/10/08 19:04 894へのコメント コメント数:1

>ですから、解釈は、いうまでもなく、自由であり、その人の到達した解釈が、
>その人の人生のレベルに対応するのです。
>作者に、何かを聞くことは、恋人の日記をのぞくようなつまんないことですよ。

つねづね思っていたことなのですが、その解釈を作者にフィードバックするこ
ともつまんないことなんでしょうか? なんか自己満足で自分の恥をさらすよう
で(あ、て言うよりも、自分の「解釈」という表現に対する返りがないからか
な?)私はいつもなんだかためらってしまうのです。

単に私のプライドが高いだけか? SUN CHILD

956/957 ******** 青空 RE:RE^4:第三舞台について質問です
(17) 96/10/14 13:27 906へのコメント

えっと、ですね、例えば、自分の作品の反応を気にしないクリエイターは、
いないと思うのですよ。
どんなに、げーじつ家のふりして、苦悩のポーズ取ってても、いえ、そういう
人に限って、すっげー
反応を気にしてるんじゃないかと思うのですよ。
ただ、「解釈」に対して、それは、正しいとか間違っている、または、
クリエイターと同じだとか、違っているかとかを、いちいち言うのは、
とっても、つまんないと思うわけです。
だって、現代国語の授業じゃないんですから。
で、アンケートなり、レヴューなりを、クリエイターは、みんな気にしていると
思うのですよ。
そこで展開される「解釈」を、少なくとも、僕は読んでいます。
そして、それに対する答えは、「次の作品」として出る場合もあれば、
何年もかかって出る場合もあるのです。
酒の席で語る「解釈」が、一番、プライベートなものだとしますよね。
でも、そこでも、表現に対するある誠実さが必要だと、僕は思っているのです。
それは、決して、強制されるものではなく、その人なりの、
なんというか、最低限のルールと、いうものが、その人なりにあると思うのです。
例えば、酒の席で「あんな芝居、クソだよ」と言っていいというルールで
生きてる人は、レヴューでも、そういう形で書きやすいんじゃないかと
勝手に僕は思っています。
レヴューで、どこそこの劇団のあの役者は、終わったというような書き方を、
読むと、僕の胸は痛みます。
人の人生を語るに、あまりに愛がないからです。
酒の席で語ったことも、ながれながれて、必ず、伝わります。
まして、レヴューは、その伝わる度合いが、何倍もあるのです。
でも、くどいようですが、胸が痛むのは、僕の個人的なルールからで、
決して、強制するようなことじゃないと思っています。
さて、SUN CHILDさん、「解釈」は、決して、届いていないのではなく、
きっとどのクリエイターにも、届いているのです。
それが、どう伝わり、どうクリエイターを変えていくかを、
勝手に、ほくそえみながら見るのも、大人の楽しみというものですよ。

(引用以上)********************

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