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2005年5月

第三舞台「パレード旅団」

 85年初演の『もうひとつの地球にある水平線のあるピアノ』を改訂した、1995年の作品。
 私が第三舞台と出会ったのは1993年ごろ。実際の舞台を初めて見たのは、94年の『スナフキンの手紙』だった。95年、私は北九州に住み始め、遠征など思いつきもしなかった当時、残念ながらこの舞台を見ることはできなかった。

 いじめにさらされている中学生の世界と、崩壊にさらされているある家族の世界を移動する。
 結局のところ、これらはコミュニケーションの問題なのだ。
 多かれ少なかれ、人間関係に悩まない人はいない。
 いじめられっ子歴30年、いまだに日々いじめられている私。
この問題を抱えながら、今日も苦しみながらどうにか生きていかなければならないのだ。
 
 二つの世界を瞬時に行き来するのだが、役者たちの芝居が安定していて、ほとんどストレスなく見ることが出来る。入江さんて、うまいなあ。そしておもしろい。すごく好きなタイプではないし、ちょっと印象の薄い感じがするのだけれど、安心して見られる。
 ラストシーン、雨に打たれてずぶぬれになりながらのジャンプは、本当にきれいだった。ああ、劇場で見たかったなあ。最近の鴻上芝居は、いや、『朝日のような夕日をつれて』からずっと、決して幸福ではないけれど、前向きな、いつか新しい地平にたどり着きたいという決意にあふれた、絶望的でありながらも元気になれるエンディングだった。

 副音声は社会学者の宮台真司氏。私は宮台オタクなので、嬉しいセレクション。鴻上さんと宮台さんは同じ年齢らしい。(余談だが、宮台氏は都立大に勤める前に、私の通う大学に来ていた。「過激だけれど、おもしろい」と評判だった彼の授業を取らずに、学部の先生の授業を取ってしまったことが悔やまれる。そもそも、本当は都立大に行きたくて、2回も受けたんだけどねー・・・) 不安、コミュニケーション、祭り、等々・・・について、演劇・映画・歴史・現代・社会・哲学などの切り口で、延々と語られることは、本当におもしろくて、これだけでもDVD買ってよかったなー、としみじみ。あー、こういうネタでしゃべってないな、最近。

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第三舞台「ハッシャ・バイ」

 1991年の上演作品。

 戯曲でも読んだし、筧利夫主演で再演された改訂版も見ている。(まあ、あれはこの芝居をモチーフにしていただけでずいぶん違った感じだったけれど、むしろわかりやすくなっていたと思う)
 けれど、こうして舞台をみてみると、やっぱりちょっと違ったイメージだ。
 というよりも、いくつものモチーフが交差していて、かなりわけがわからない。

 『ビー・ヒア・ナウ』と同様、熱狂する時代に対して批判的な視点が感じられる。
 「自分探し」がモチーフのひとつだけれど、それに対しても批判的な感じ。 
 
 クライマックスで、もうひとりの私がそっと私の肩を抱く。
 愛しくてたまらないというように。
 目を覚ます、眠りにつく、ここから出て行く、新たな一歩を踏み出す、愛しい私を。
 たとえあなたが深い眠りにつき、あるいは目覚めて、私のもとを離れても、私のことを忘れてしまっても、私はここにいる。だから大丈夫、安心しておやすみなさい、安心して目覚めなさい、安心して旅立ちなさい、というように。
 かなりわけがわからなくても、この作品の中にある誰かを想う気持ちは確実に届いたし、私の心を動かした。
 長野里美という人がまたすごい。彼女がせりふをしゃべると、ダイレクトに伝わってくる。 
  
 ドラクエのゲームデザイナー堀井さんと俵万智さんをゲストに迎えての副音声では、「孤独」についての話題が印象に残った。「孤独」から抜け出したくて、人は表現するのだという。その表現を通して、誰かとつながりたいのだという。ならば私は、誰かの表現をきちんと受け止められる人でありたいと思う。ま、裏を返してホンネを言えば、自分の表現を誰かに受け止めてもらいたいというだけなのですけど。わがままですね。
 もうひとつ、「癒されたい・安心したい芸術」と「わけわからない・心を動かされる芸術」の話。私が鴻上さんの芝居を好きなのは、それが後者だからだ。見終わってすぐはわけがわからなくても、1ヵ月後に道を歩いているときにふと芝居のせりふが思い出されること。それっていったいなんなのか、突きつめて考え続けること。そのしんどい作業を続けていくことが、どうにか生きていくということなのではないかと思っている。

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「クローサー」

「クローサー」 
 日時:2005年5月25日(水)
 場所:TOHOシネマズトリアス久山

 なんか、ひさびさにはずしました。っていうか、お子様な私にはほとんど理解できませんでした。
 こんなふうに言うのもなんですが、お薦めしません。

ロンドンを舞台に4人の男女が織り成す恋愛劇。
 確かに。全編、愛してるだの愛してないだの、やったのやらないの、いったのいかないのの話である。
 この4人、たぶんお互いに深く愛し合っているということなのだろうが、それが全く伝わってこない。
 時間や場面が突然飛び、しかもその飛躍の意味も、きっかけもわからないので、わけがわからない。
 会話のやり取りは確かにまあまあおもしろく、しかもそのせりふが真実なのか嘘なのか、というところを楽しむものなのだろうけれど、そちらに意識が行かないまま終わってしまった。

 最初と最後の場面から考えると、メインはジュード・ロウとナタリー・ポートマンのカップルだと思うのだけれど、ジュリアロバーツ目立ちすぎ。あと、ジュード・ロウとクライブ・オーウェンがちょっと似ていて(すみません。私、外国人男性は見分けがつかないもので)、「あれ?どっちの男だっけ?」と思ってしまったのもいけなかった。

 でも、これが大変人気があり、世界中で上演されてるんだー。
 これがおもしろいとは思えなかったというのは、やっぱり私がお子様だからなんだろうな。

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第三舞台「ビー・ヒア・ナウ」

 『第三舞台 VINTAGE BOX2』を買ってしまいました。うちにはDVDプレイヤーがないのに。
 しょうがないのでパソコンで見ています。
 まずは「ビー・ヒア・ナウ」

 1990年に上演された作品。
 主に制作的なことや、90年当時の第三舞台を取り巻く状況などが語られる副音声によれば、「最後のフルメンバーでの公演と言われている」そうです。

 みんな若い!
 踊る、踊る・・・。
 「おどるポンポコリン」フルコーラスにあわせて踊られるチアリーディングのすごいこと、すごいこと!
 こんなものを見せられたら、そりゃあ観客は熱狂するだろう。
 戯曲を読んだだけではわからなかったかずかずの演出の工夫に驚かされました。やはり副音声で「スタッフワークも最高だった頃の芝居」と言われていますが、舞台も小道具も衣装も映写も確かに完璧な出来です。

 一方で、脚本はなんだかおとなしい感じで。
 「いま・ここにいる」というタイトルには、浮かれまくっていた時代とは裏腹に、どこへ行きたいかもわからず、どこへも行けない閉塞感のようなものが感じられる。どこへでも行ける、何でも出来る、と思ったとたんにどこへも行きたくないし、何もしたくないんだと思ってしまうように。そのくせどこへも行っちゃだめだと言われると、無性にどこかへ行きたくなってしまうように。

 あれから15年が経って、不景気といわれる時代が結構長く続いていて、なのに状況はさして変わりない気がする。むしろそんな気分でいられるということは、やっぱり私たちはどこへでも行けるし、何でも出来るということなのではないか。
 まあそれは私だけなのかな。

 DVD、あと4本(+1)もあるよ。副音声もついてるから、2回ずつ見るとして、しばらくはこれで楽しめそうです。 

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