「無題」
劇団ぎゃ「無題」
日時:2007年8月19日(日)14:00開演
会場:大博多ホール
そこは絵画のオークション会場。
とある売れない画家がソウゾウする世界が立ち現れる“絵画”に値段がつけられる・・・。
舞台に張られた紗幕にオークション価格が表示されていくのですが、どのタイミングで価格が上昇していくのかがつかめなくて、違和感を覚えました。しかも一瞬しか表示されないので、なんだかサブリミナルみたいで「あれ?今、何か映った?」。
絵画の「価値」を考えるという視点、ひとりの画家のソウゾウの世界が立ち現れるという発想、オーケストラとの共演、むちゃくちゃかっこいいオープニング・・・などなど、その発想のセンスのよさが素晴らしい。賛否両論あるようですが、中村雪絵さんの体を張ったギャクも大好きです。尊敬します。赤いドレスでのダンスは、田坂くんや矢ヶ部くんもさながら、堺雅記子さんがセクシー。
ただ、こんな盛りだくさんなすばらしいネタを、うまくまとめて一つの作品に構成する力に欠けていたように思えました。特に、エフと画家、それぞれの物語はそれぞれおもしろかったのですが、その関係がうまく描かれていなくて、結局なんだったの?という印象が残ってしまいました。まあ、今回は特にこれだけ盛りだくさんだったから仕方なかったのかもしれません。
クライマックスで、画家はだんだん、というよりもいきなりパニックを起こします。
私にはこの展開があまりに突然すぎて、わけがわかりませんでした。
万能感を持って世界をコントロールしていたはずが、世界のコントロールがきかなくなったために、パニックを起こしてしまう、というパターンは、前回の「空想上洋品店」でチバさんが起こした大量殺人にも通じるものだと思います。
それはそれでかまわないのだけれど、そこに至るまでの、画家の、世界に対するちょっとした違和感とか、エフという少女に対する想いとかが、芝居や演出や音楽からもっと伝わってくればよかったのになぁと思いました。
それでも、物語が行き詰まった時点で、コントロールのきかない世界に対して、暴力で解決するというやり方が、とても幼稚に思えてしまいました。
私自身はそういう解決方法も可能性としてありだと思うし、それで済むならあらゆるものをそうやって解決してやりたいと思うこともなきにしもあらず。ですが、世の中ではそういう方法は認められていなくて、私たちはこの自分のコントロールのきかない世の中で、だからこそ苦しんだり悩んだりしながらどうにか生きているのだと思うのです。芝居だから許されることだと思うがゆえに、なんと言うか、もうちょっとどうにかならんのかと。
芝居はある意味、作り手側のそんな苦悩を解決する手段になっているのかもしれませんが、観客としての私には、そういったカタルシスを得ることは出来なくて、不満が残りました。
私たちは日々、うまくいかないことだらけの人生の中で、自分や他人を傷つけたりする以外のやり方で生きる方法が必要だと思っています。そうじゃない在り方があるのだと知ることで、元気に生きていけるのではないかと思うのです。殺人とか、戦争とか、そういった出来事に共感してすっきりするのではなく、この絶望的な世の中で、絶望を受け入れながら、自分や誰かを傷つけることなく、どうにかこうにか死なずに生きていく知恵を、芝居や芸術作品からもらえたらいいなと思います。あるいは誰かが、自分や誰かを傷つけないために、必死の思いであがいた結果が人の心を動かすのではないかと思います。そこにこそ、芸術作品の「価値」があるのではないかと思うのです。
大博多ホールは・・・個人的にはホールとして好きではありませんでしたが、博多駅から歩いていける距離と、途中にたくさんカフェがあるところと、ロビーは好き。
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