劇団・太陽族「砂の絵の具」
劇団太陽族「砂の絵の具」
日時:2005年4月2日(土)15:00開演
会場:西鉄ホール
太陽族は、大好きな劇団である。
初めて見たのは西鉄ホールで、なのだけれど、まだ199Q太陽族だった頃、天王寺で「ぼちぼちいこか」という街頭劇をやっていて、その日偶然天王寺の町をぶらぶらしていた私は、見たくて見たくてたまらなかったにもかかわらず、ニアミスに終わってしまったという苦い経験がある。
「ここからは遠い国」「それを夢と知らない」がとても気に入ったので、昨年夏の「空の絵の具」も張り切って見に行った。客入れの音楽が80年代のJ-POPで、どの曲も一緒に歌うことができた。自分の世代の物語なのだと思った。
が、なんだか消化不良に終わってしまった。そのときのメモには「パズルピースをぶちまけられて終わった感じ」と書いている。
自分が「学校」に近いところにいるせいもあるかもしれない。「学校」という場についての表現や、二人の女性にはさまれた優柔不断な稲垣が非常にはらただしく思えたし、尾崎剛の存在も、なんだか謎なままに終わってしまった。
そして、「砂の絵の具」
これを見てやっと、「空の絵の具」がわかった。見ることができてよかった。
岩崎さんと、西鉄ホールの中村さんに感謝!
日常の場面を丁寧に表現しながら、時間軸が揺れ、日常の隙間に非日常が入り込む。
たくさん泣いた。
「空の絵の具」では、野口くんは失恋したから自殺したように感じた(らしい。メモによると)けれど、今回は単純に木から落ちただけの事故だったのではないかと感じた。それとも木の上から何かを見たのか。何を見たのか。
見終わってしばらくしてやっと、この芝居は稲垣のものがたりなのだと思った。
尾崎剛は稲垣の弱さで、心の闇なのだと思った。直接的には出てこないけれど、目に見える芝居の隙間にぽっかりと稲垣の心の闇が見える。逃げたり、誰かのせいにしたり、暴れてみたり。そんな芝居だった。
「空の絵の具」を見たときに、それがわかったかどうか、全く覚えていないのだけれど、(そもそも、「空の絵の具」を見た後の私のメモには「同僚を殴り殺す」と書いてるんですけど、あの芝居の中で誰が誰を殴ったのかまるで覚えていません。誰か教えてください)安藤先生を殴ったのも稲垣なのだということが納得できた。「空の絵の具」を見たあとに、ある人が「自分の弱さを隠そうとする暴力」と言っていて、そのときはよくわからなかったけれど、それもやっとわかった気がする。
この春、私は中学高校時代を過ごした町に戻ってきた。
職場の隣の席は高校時代の恩師。
あれから20年近い時が流れ、わたしも大人になった。
酔っ払って、人を殴ったり、夜中に暴れたり、迷惑な電話をかけたりする大人になった。
10代の子どもにえらそうに説教する大人になった。
なんとも情けない。稲垣は私なのです。
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