うずめ劇場「ねずみ狩り」
うずめ劇場「ねずみ狩り」
日時:2005年3月5日(土)19:30開演
会場:ぽんプラザホール
この後、北九州・東京・名古屋と公演が続きます。
とりあえず、今、日本で、こういうものが観られるところは他にないと思うので、観ておいて損はないです。
『福岡演劇のひろば』ですでに議論の対象となっているこの芝居。私としては珍しく、知人と一緒に観に行ったので、終演後に知人が延々と芝居の感想や解釈を述べるのも聞きました。『ひろば』の皆様の意見を読ませていただいて、いろいろと思うところがありました。「意見があるならあっちに書けよ」とも思うのですが、自分なりのルールでこっちに書かせてもらいます。
私としては珍しく、大ネタばれで書くので、これから見る方はご注意あれ。
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夜。
人気のないゴミ捨て場。
知り合ったばかりの男女。
となれば、やることはひとつ。
「私、あなたのことをまだ何も知らないし」
そしてはじまる『プレイ』
『お互いのことを知る』ために。
中高生以下は入場お断りの問題作、となれば行き着く先は大体見えてしまう。
だから、普段セックスとか裸とか暴力とかをほとんど受け付けない私も、ある程度展開を予想して、覚悟して観た。予想していなかったらびっくりしたかもしれないけれど、特にびっくりもしなかったし、嫌な気分にもならなかった。
この芝居の本質は過激な描写ではなく、もっと別のところに、しかも多重にあると感じた。
たとえば「コミュニケーション」あるいは「お互いを知ること」
だからセックスはあくまでもコミュニケーション手段として描かれていて、『性』とは切り離された感じがした。
それから「自己」。ラストシーン近くに言われる「名前、なんだっけ?」というせりふが、いかにもかなしい。
すべてを脱ぎ捨てて体でつながりあったって、お互いの何がわかる、何を知ったというのだ。
そして「国家」。アイデンティティ。
パンフレットによれば、この芝居は演じられるものが普段使っている話しことばで演じられることが台本指定らしい。
それから、オーストリアという国の事情。
うまく説明できないけれど、ひとつには自分はなにものであるかということを考え、おまえは何者であるかということを問いたかった芝居なんじゃないか、と今思う。
そういう意味ではとてもシンプルで、わかりやすい構造だった。
他にも、「消費社会」とか「アメリカ」とか、気になったキーワードはあったし、それは上に書いたこととリンクしているとも思ったけど、そこまで私には解釈できません・・・。
芝居を作る上でもラストシーンにたどり着くまでに役者もいろいろなものを捨てなければならなかったと思う。ペーター・ゲスナーはいつも、演出家として、芝居を通じて役者を育てようとしていると思う。その意味で、彼がこの芝居をやりたかったというのもわかる気がした。
そして、そこが私がうずめ劇場、そしてペーター・ゲスナーはすごいと思うゆえんである。
日本の感覚じゃない。そりゃペーターさんはドイツ人だから。
毎回のワインサービスも、いかにもヨーロッパ的だと思うわけです。
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『福岡演劇のひろば』関連発言(ツリーになっているので、コメント発言もあわせて読まれたし)
http://groups.yahoo.co.jp/group/fukuoka-engeki/message/2228
http://groups.yahoo.co.jp/group/fukuoka-engeki/message/2249
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コメント
薙野さんの感想は厳しいぞ~。
http://plaza15.mbn.or.jp/~naginon/20050306.html
投稿: SUN CHILD | 2005/03/17 19:05